商 品 紹 介
荒浜での海苔の収穫は11月~4月下旬。
摘採した養殖海苔(生海苔)を洗浄、調整、加工して乾海苔にし、自社の工場で焼き上げたものが主な商品です。
「焼海苔」
朝摘みした生海苔をすぐに製造して作られる乾海苔を使用し、自社の工場で丁寧に焼き上げました。
黒い艶光が特徴的で薫り高く、口に入れた瞬間にとろける滑らかさと風味が広がります。
【特選】は、特に厳選された乾海苔を使用しています。
「味海苔」
風味豊かで味わい深い焼海苔を使用して、おやつに、おつまみに嬉しい味付け海苔を作りました。自慢の海苔で作った「ひと味ちがう!」味付け海苔をご賞味ください。
「黒ばら」
朝摘みした生海苔を即時乾燥して作られるパラパラの海苔です。汁物やラーメン等に乗せるだけで海苔の風味が広がります。「きざみのり」とはひと味違う食感をお楽しみください。
「生海苔」~新海苔の摘採は11月下旬頃を予定しております~
原藻と呼ばれる海藻です。朝摘みした生海苔をギューっと脱水した新鮮パック。
酢のもの、のり汁、天ぷらなどでご賞味ください。
直売所
営業時間のご案内
土曜・日曜のみの営業となります。
(祝日はお休みとさせて頂きます。)
営 業 時 間
10:00 ~ 14:00
ご来店心よりお待ちしております。
亘理町『荒浜海苔』の歴史
明治12年、荒浜地区、逢隈地区、吉田地区の創設者数十名により荒浜漁港・鳥の海にて海苔養殖を操業開始。
第1組合、第2組合と分けられた海苔養殖漁業者の組合は、現在の亘理支所(漁業協同組合)の先駆けとなり、他魚種・漁船漁業の組合の礎となる。
昭和40~50年代になると、亘理町行政の町作り計画や施工、漁港内整備により、それまで湾内にて行っていた養殖を外海にて行う事となる。この時、湾内で使用していた船は外海での航行に不向きであることから、養殖設備や漁船に対しても一新することが求められた。
この「湾内から外海へと漁場を移す」「養殖資材の一新」という変遷期に加え、一次産業において常に課題となっている担い手(後継者)問題も含めて、多くが外海での海苔養殖業を離れ、現在に至る数件の海苔養殖漁師が今に繋いできた。
2010年時点での荒浜漁港海苔養殖漁業者は4軒のみとなったが、長きに亘り「亘理町の海苔の味」を受け継いできた。
今日、荒浜漁港南岸壁敷地内に海苔養殖業創設者一覧を記した記念碑が建立されている。
震災後の海苔漁師
2011年の東北大震災における海苔の養殖施設や工場の被害は大きく、1年の準備期間と漁業協同組合の助成事業等を経て、2012年に操業再開に至る。
失われた漁具や漁船に対する大きな損害に対する葛藤もある中、東北地方ではまだ使用例のなかった海苔の摘採船「システム船」を導入。《東北の海域に対しまだ前例のない》船の仕様において、これまでの漁具規格の調整《修正》等はあったが、長年携わってきた荒浜の気候や特性、蓄積した海苔養殖の経験を併せながら運用を開始。新たな挑戦を交えながらの操業再開となった。
震災後、3軒となった海苔養殖業者は共同経営体制を経て、2015年6月に「あらはま海苔合同会社」として新規起業。
過去、先人より受け継がれてきた亘理町海苔養殖の歴史や食文化、荒浜の海でしか出せない味を後生まで伝えるために今、それぞれの家業の歴史を融合した新たな「現在」を歩んでいる。
代表者の声
震災直後は様々な理由で家業としての海苔養殖事業をあきらめました。
長年培ってきた多くのものを一瞬にして奪われました。
古くからの仲間をも失い、毎日を過ごしてきた「海に裏切られた」という絶望感。
「もう(海苔養殖は)続ける必要はない」と考えはするものの
「それで後悔はしないのか」と葛藤する毎日でした。
そんな『海苔屋』が、決心したのは、「栄養塩が豊富で、かつ日本一長期で養殖海苔の収穫が出来る恵まれた荒浜の海苔養殖漁場を後世に残したい」
「これからを担っていく漁師たちに受け継ぎたい」
「町の、これからの子供たちに伝えたい」
と言う想いでした。
「やるか」 「やってみっぺ」
それは5人の海苔屋の一致した意見でした。
続けていけば、きっと歩き続けることが出来る。
荒浜海苔の歴史を繋ぐことにきっと後悔はないはずだ、と考えることで
あの日からの力にしてきました。
最高の環境で作った最良の海苔を、待ってくれている方々に届けることが私たちの喜びです。
私たちの海苔を待ってくれている多くの方々と、応援してくださる皆様に。
感謝ばかりです。
あらはま海苔合同会社
代表 菊地
風 景
お問い合わせ
あらはま海苔合同会社
〒989-2311
宮城県亘理郡亘理町荒浜字隈崎175-1
TEL:0223-35-7330
FAX:0223-35-7339